2009年12月3日木曜日

ヒーリングに行ってきた。

北海道に住む友人ヒーラーの紹介で大阪に強烈なヒーラーママがいると
ずいぶん前に情報をいただいていた。
その時は、うーん、お金払ってまでヒーリングはいいや・・と思っていたので
ききながしていたのだが(友人にただでやってもらっていた私。笑)
最近色々、ごわーっと自分の身体にへばりついたうじゃうじゃしたものがあって
(幽霊とかそういうんじゃなくて)これは自分ひとりじゃ浄化できないなーと思い
ヒーリングをお願いすることにした。

が、それは、その紹介してくれたママではなくて
同じ系列?のヒーリング認定を受けている別の人。

だって、ママ単独にお願いすると30分3万円とかするんだもん。
無理無理無理!
ヒーリングの効果にまるっきり懐疑的なわけじゃないけど
さすがにそれは、無理だわー。と思って。

他のヒーラーとママとの合同でやるヒーリングになると
まあマッサージとかと同じくらいの値段設定。
でも、そんな、他のヒーラー混ぜてやるからお安く・・っていうのも
ヒーリング効果そのものもお安く感じてしまうじゃないねえ。

下手でも一生懸命じっくりやってくれる人で
ちゃんと現実的なお話ができる人で
っていうあたりで、ヒーラーさんを決めて今回はじめてお願いした。

で、行ってきたわけなんだけど。

私もこんな商売しているから
色々しゃべってればその人の持ってる抑圧だの防衛だのってのは
すぐに見えるわけなんであって
そして開業ヒーラーさんというのは、えてして、そのヒーリング効果や
自分のヒーラーとしてのあり方について、完全にコミットしてる人は少なくて
そういう意味では、やっぱり、難しいなあ・・っていうのが、感想。

ヒーリングそのものは、とてもよかったのよ。
揉みほぐしが入るから、純粋なマッサージ効果もあって。

身体についてたうじゃうじゃは、ずいぶん軽くなったし、
自分自身が小一時間、軽く瞑想状態になるわけだけど
わりと安心してまかせられる感じだったので
いろんな内省がポジティブにいっぱいできて
自分の中で、「よしココ」っていう着地点が見えたし。

それを私は何も話していなくても
ヒーラーも大体同じようなことを言っていて。
あ、ちゃんと同じテーマで交流できてたんだなって思って
素直に、うん、よかったーと思った。

ただでも、そんなに一生懸命、日常的な例えを探さなくても、熱弁しなくても、
ありのままの言葉で言ってもらえばちゃんとわかるのになあーって思いながら
伝えんとすることをきいていた。

きっと、一般の人に、まっすぐ伝わる、っていうのは
とても難しくて、いつも苦労してるんだろうなあって思った。
普通に考えれば、エネルギー云々の話なんて懐疑的にとられるか、
逆に、過大に受け取って、ある種いっちゃってる風な
クライアントさんというのもきっといっぱいいるんだろう。


私が、ヒーラーの友人がいるだのいう話を最初にしていたので
どうやら、スピリチュアルオタクみたいに思われたみたい。

いや、私、一通り色々試してはいますけど(笑)
前世とかいう話もよくしますけど(笑)
知らずに知り合った友人がそういう人だったというのはよくありますけど(笑)
オーラ写真とったら、そっち系の力が開発できるって言われましたけど(笑)

でも、それなりに見てきいて触ってきてるから
この世界との距離のとり方を間違っている人もたくさん見てるし
それをいいことに色んな商売があることも知ってるし

その世界との付き合い方については、一応それなりに経験つんでるつもり。

オーラ写真をとったときに、とってくれたのはおじいちゃまだったんだけど
「あなたは、そういうオーラを持っているけど、そっちには行かないですね。
大学で幼児教育を教えるとか、そういう形でいくんじゃないかな」と言われて
このおじいちゃまの言葉はすとんと納得できた。

ヒーリングにしても、スピリチュアルというものにしても、
一番求められるのは、それを使う人の心のありようだ。
ヒーラー側もそうだし、クライアント側もそうだし。

上手に自分のプラスエネルギーにしていける人もいるし
そうでない人もいる。
実体のないものだからこそ、その心のありようが
鏡にうつされるような感じで、強烈にあらわれてくる。

そこの温度、距離、がぴたっと一致していると
ものすごーくいいヒーリングになるんだろうなあって思う。

今回のヒーラーさんは、
多分、私がどういう温度、距離なのかをちゃんと伝えたら
もっといい感じで交流できるような気がする。

また、うじゃうじゃしてきたら、お願いすることにしよう。

2009年11月3日火曜日

ダブルメッセージの氾濫

ゲームというものを楽しめる脳みそを持っていない私が
つい今朝方まで、mixiで、サンシャイン牧場というのを登録していたのは

もともとはマイミクの人から招待されたから応えねば・・というのと
私の牧場をせっせとマイミクの人が世話してくれていたので
あからさま放置するのもどうかと思っていたからなのと
まあ大体そんな理由。

せいぜい、このゲーム(ゲームというより単なるアプリなんだろうが。)の
見所かなあと思っていたのは、種や芽など作物の形がとてもリアルで
へえーこういう種なんだあとか、こんなふうに育つのねーとか
そういうのを発見するというところか。

使い出すうちに、このアプリに対する各人の考えが顕著に出てくるのがわかって
それはそれで面白かったのだが
最終的に、ものすごく物欲主義的な発想のアプリなんだなあということが
すごくよくわかって、それで、色々と他にも辟易していたのもあって
先ほど、さっくりと削除してしまった。

***

このアプリでは、基本的に、何かで失点するということはまずなく
基本的には全てプラスに転じる。
自分の畑で作物をつくっても、他の畑のお世話をしても、
あるいは他の畑の作物をお持ち帰りしても、レベルアップする。

畑に虫をいれたり、畜産にいたずらをしても、
それを別の人が治療すると、地力や動物の生産力があがって
結果的にレベルアップする。

虫投入も、いたずらも、それをすることでマイナスにはならないから
「どんどん害虫をいれていってね」
「もっといたずらしてね」
みたいなことになる。

このあたりで、すでに私の脳みそでは疑問の嵐。

それをゲームだからと割り切れるほど、私の頭は柔らかくないのだった。

***

もともと、どんなに小さなことでも
いじる、という文化が私は嫌いだ。

本当に仲のいい人なら、そういうのもままあるだろうとは思うけど
まだそんなに関係が深くないときに
いじるという行為をもって、親しみを伝えようとするのは
何か間違っているような気がしてならない。

いじる、と、いじめ、の違いを誰が確かに判断できるというのだろう。

私の脳みそは、必要以上にばか正直な脳みそなので
全ての言葉はその言葉通りに受け止める習性があり
大阪文化なんて、もっとも私には適さない文化だというのを
こっちにきてからひしひしと思う。

ああ、また大阪話になってきちゃったな。

まあいいや。

他の人がきいたらあきらかに冗談だよ、ウソだよ、とわかることでも
私は「えっ、ほんとに?」と本気で返すので
冗談を言った人に「いやいや、ここはボケるところでしょ」なんて言われて
それをウソと感づかない私が馬鹿にされる形になる。

天然ボケ、というキャラが存在するのを知ってからは
「私天然なんで、すいません」とか言えばいいのかと思ってそうしてきたけど
なんかそれもおかしな話。

***

日本文化の中にあるメッセージというのは
暗喩やら隠喩やら、少しひねることで奥ゆかしさが出ることを
古来より大切にしてきたのだと思う。

ところが、現代の日本文化にあっては
そういう奥ゆかしさはどこへやら
実際に起こっている現象と言葉とがすっかり解離して
ダブルメッセージが氾濫し

しかもその中で的確にメッセージを取得できない場合
KYなどといわれる始末である。

この点、外国のスタッフと一時期仕事したときのことを思い返すと
あれだけストレートに励まされたり感謝されたり
まずいところを指摘されたり、というストレートなやりとりは
ある意味すごくほっとして、力強く感じられたものである。

本来は、和歌にもあるようなあの奥ゆかしさが私はとても好きなので
なんでも欧米文化がいいと思うわけではないが
やはり、実際の現象と、解釈のねじれは、どうにかせんといかんと
つくづく思うのである。

***

さて、サンシャイン牧場に話を戻すと
これは結局、自分のレベルをあげるために
自分の作物や畜産を量産しつつ
他の人の畑も世話しつつ

それだけならいざ知らず
人の畑に害虫をはなち畜産にいたずらをする。

結局、全ての行為が自分のレベルアップにつながるというその発想がいやらしく思えて
私は全然、自分のレベルは気にせず、他の人の畑の地力があがるようにとか
畜産の病気を治さねばとか、そんなことばっかりやっていたから
結局最後の最後までほとんど初心者と変わらない順位であった。

私はそれで全然いいのだったが
せっせとお世話しているほかの利用者さんたちが
必ずしも私と同じスタンスでやっているわけではないのだろうなあとか
思い始めたらもうダメで、
なんかそういうのの、思惑の違いというか、そういうのにも疲れてしまった。

つくづく、私の脳みそって面倒だ(笑)

アンテナを張りすぎるから疲れるのだ、とよく上司に言われた。
ああ、そういうことなんだなあ、ってまた思わされた。

人の心理に感づくスキル、というのは、職業についてからさらに強まってしまったが
多分もともとそのきらいはあったと思うので、いたしかたない。
そういう意味では天職なのかどうなのか。

しかし、こういうスキルも、もとはといえば
周囲のダブルメッセージが読み取れないばっかりに
自分であらゆるパターンを後天的に学習し分類し
できるだけ環境に適応しようとしている過程の中で
身についただけのことである。

おおむね、高機能自閉の人間で社会適応できている人というのは
こういう能力をかなりに備えているのだろうと、推測する日々である。

2009年10月18日日曜日

芯の通った人

8月から個人の先生に着付けをならいに心斎橋まで通っている。

心斎橋といえば、シャネルやカルティエの店舗がならび
大丸(少し前まではそごうも)のような百貨店がでんと構える
まあいわば大人の街だ。

その一角にあるちいさなカフェが着付け教室というのだから
びっくりである。
どうやらそのカフェの経営もしている先生らしい。

楽しんで着られればそれでいいやと思っていたのと
大きな着付け教室だとゆっくり学べないかなと思っていたのとで
個人レッスンをお願いすることにした。

しょせんカフェの中でやるくらいだから
そんなに本格的なものでもないだろうけど
そこはあまり気にせずにいこう
と、思っていた。


それは大きな間違いであったことに、気がつくのに
時間はそんなにいらなかった。


***

こう書くと、まるでこの教室がダメダメだったかのように
うっかり誤解を招くかもしれぬ。

ことは、正反対であった。

心斎橋という高級な土地にカフェを出店しそこを経営している人である。
当然、センスと現実吟味、そしてマネジメント能力には長けているはずだ。
よく考えれば、どれだけ才能とエネルギーに溢れている人かは
推測できるはずであった。

「イマジン」という槇村さとる著の漫画があるが
その中の台詞に
「一つのことが完璧に出来る人は、他のことでも出来てしまう」
というような台詞があるが

この先生はまさにそういう類の人なのだと思う。

おかげさまで、順調に着付けは進んでおり
しかもいつも楽しく
そして自分のペースにあわせた指導をしてもらえている。

教えていただくことの一つ一つに、一本の芯が通っているような感じで
こちらが、混乱することがほとんどない。

それこそ、着物を着るということだけでも
なにか気持ちがしゃんとして芯が通った感じになるものであるが
着付けを教わるという行為そのものにも
その感じがあるというのは、嬉しいかぎりである。

***

こないだ、せっかくなので着付けとは関係なしにカフェにお茶しにいった。
どうやらスイーツコンテストで優勝とかしているお店らしく
あらためてなるほどなあと思わされた。

入店したときに、ちょうど着付けブースが利用中だったので
今日も着付けしているんだなあと思っていたら
途中でどうやら終わったらしく、帰るときにはそこは座席にかわっていた。

それで、先生にご挨拶しそびれたなーと思いながら
レジにお会計にいったら
レジにたっていた店員が先生だった(笑)

本当にたおやかな人なのに、しかしエネルギッシュである。

***

ちなみに、この教室を知ったきっかけは
京都のあるカフェにたまたま行ったときに
そこで個人展をしていた コトコさんというデザイナーさんがいて

そのコトコさんの作品をおっかけているうちに
コトコさんが、この着付け教室に通っており
サイトのデザインや看板のデザインをされていたのを
知ったのであった。

よくよく考えたら、
このコトコさんというのも
素晴らしい才能とエネルギッシュな活動力をお持ちの方で

なるほど、なあ、と思う次第である。

2009年10月16日金曜日

「心理やさん」である自分

心理学というものに出会ったのは高校生のときで、
そのときから心理でご飯を食べていこうと思っていたから
足掛け15年近く、心理職へのモチベーションを維持していることになる。

心理学という学問をまだ知らなかった中学生時代は
集団生活の人間関係において、なぜグループ、派閥ができるのか?(特に女子)という疑問と
休み時間になると保健室に集っている人たちはなんなんだろう?という興味があり
そのときの疑問や興味が私を心理学へと導いたという確信はある。

色々と勉強して色々なケースに出会っている今だからこそ言えることだが
私はたぶん、幼少期から集団生活やグループへの所属には馴染まず(馴染めず?)
理屈第一好奇心第一でマイペースに動いていた、今で言うKYに近い子どもだったと思う。
もうちょっというと、今、当時の私について相談ケースとして受けていたならば
微妙に発達障害の傾向がないとも言い切れないくらいの所見は書いていることだろう。

それほどの生育暦であっても自分にとってマイナスな経験にならずにすんだのは
おそらく、一定以上の知的能力によって、物事を客観視し傾向と対策を練れていたことや
そういう立場にたつことで自尊心を保てていたからなのだろうとも思う。

こうやって書くとつくづく嫌な子どもだな(笑)


自分がなかなか馴染めないような集団生活において
他者を観察し、その様子について考える作業は
気がつくと、自分のことを見つめなおし、
より客観的に自分をとらえる機会にもつながっていた。

15年もの長い間、心理学、という一つの事象、学問への興味を
ずっと持ち続けているのは
人間観察が面白いからというだけではなくて
私は私のことをもっとよく知りたいのだからだと思う。

そして、心理職ではあるけれども、心理学者にはなれないとも思っている。
もっというと、心理職というのも、たまたま今は職に就けているからだけであって
私は結局のところ、「心理やさん」というくらいのところに
自分のアイデンティティを持ちはじめているなあということに
最近気がついてきている。

そして、そのくらいのアイデンティティが一番自分にとって心地よいことにも。

それはすごく幸せなことだなあということを、私は、よく知っている。

2009年10月13日火曜日

友達

結婚を機会に難しくなってきたことの一つが
「友達」との関係性だなあと時々思う。

私はそんなに器用な方ではないから
ダンナという身近な家族が一人いたら
それで大抵は満たされてしまうので

それまであったような友達とのお食事であったり
お出かけであったりということは
結婚してからは随分減ったように思う。

でも、それでも時に、ダンナではなく友達だからこそ
何かもらえるエネルギーなり刺激なりっていうのを
欲するときというのはある。

ところが、そのくらい厳選された欲求になってくると
これを満たそうと思っても
どの友達にどのタイミングでどう約束をとったらいいのか
よくわからなかったりする。

そうして、ふと自分が会いたいと思っている友達というのは
昔からずっと仲良くしてきた古い友人であったり
同じ夢を目指して時間を共にしてきた仲間であったり
という友達なんだなあということに気がつく。

趣味が共通していたり、一緒に遊んで楽しいという友達も
自分の生活を豊かにしてくれる大切な存在だけど

どうしても会いたい、何かを交わしたい、と思うのは
すでに何かを交わしてきた相手に会うことで
そのときの自分に再会したいというような気持ちにも近い。

そうすると、どうしても私の場合は
生まれ育った土地に住んでいないという今の状況が
ものすごい大きな障害に思えてしまい
つい「大阪に友達が欲しい」などという暴言を
はいてしまったりする。

別に大阪に友達がいないわけではないのに。

もうその思いは年々強くなる一方だから
これをどうにかする方法を
考えていかなくてはいけないなあ。

ダンナが、高校の同級生と年に一回以上は会っていて、
それはそういう会をひらいてくれる幹事がいるからなんだけど
本当は、そういうのの発起人になってもよいんだけどね。

昔、そういう集まりは私にもあったから
それは再開しても悪くないとは思うんだけど
果たしてどうなんだろう。という思いもあり。

2009年10月3日土曜日

体と仕事の距離

雨が降ると、かんぺきに体調不良になり
仕事どころではなくなる。

はじめは気持ちの問題かと思っていたけどそうでもなくて
なんでこんなに体がしんどいんだろうー?とずっと思っていたら
そういえば雨がふっていた、とか台風が近づいていた、とか
あとになって気がつくことも多い。

朝、カーテンを開ける前に、体のどんより具合で
雨がわかったりすることもある。

こんなに体調が崩れやすくなったのが一体いつからなのか
はっきりとはよくわからない。
でも、すでに予備校時代に、授業を全て受けきれずさぼったり
そもそも受験勉強そのものを続ける力はなかったように思う。

5月に実家に帰ったときに、屋根裏で見つけた昔の通信簿。

見て驚いた。

小学校、中学校、と、ほとんど皆勤に近い出席日数だ。

私はすっかり、昔から体は丈夫じゃなかったと思い込んでいたけど
実はそうでもないのかもしれない、と、考えを改めなおしたところ。

でもじゃあ、今、体調が悪くなるのは気持ちがなまけているからかといえば
やっぱりそうでもなくて
こういうのは、体のサインだから、ちゃんと意味を考えないとと思っている。

仕事をしていると、時に体のサインを無視してでも
やらないといけないことは出てくる。
そのとき、どのくらいの割合で、体を優先させるのか仕事を優先させるのか
この天秤のはかり具合が難しい。

仕事をしていくうえで、自分の体をどのくらいのコンディションで維持するか、
仕事と体の距離をどうとっていくのか、
いつも悩む。

仕事を辞めて体最優先にしてしまいたい気もするのに
案外、仕事がないと体もうまくはたらなかいという気もするし。

学生の頃とは違って、仕事は、
自分でプランをたてて、相手と交渉して、技術をつかって、
こなしていく作業だ。

使っている脳みその分野も、精神力も、体力も、学生の頃とは違う。
私は、環境の変化にうまく適応できることが少ないので
必要以上に、その変化に疲労しているというのが
実際のところだろうとは思う。

もう社会人になって10年近くたつのに、
いまだに、この社会人リズムを自分のものに出来ていないのは
なんとも情けない話ではあるが

それを気持ちよく自分のものにしていくことに
面白みや自分の成長を感じたりもするから
それはそれで、必要な課題と思って
楽しんでみることにしよう。

2009年10月1日木曜日

新しいお部屋

6歳年の離れた弟が、大阪に来て仕事を探すっていうもんだから
この不景気のご時世になんて無謀な・・と思いつつも
やはり姉としては可愛い弟だからついつい世話してしまう。

もう25歳なんだから、全部自分で出来なきゃいけないんだけど
なんだかつい、この弟にあっては、
兄が亡くなってからの家族構成の激変の中、
ずっと実家で変わらず過ごしてくれていたことへの感謝の気持ちもあって
逆に、家を出るということについて何も知らなくても
それを非難したり否定する気持ちにはならない。

私は、激変に耐え切れず、18歳でさっさと家を出てしまったからなあ。

今でこそ、大阪の文化に馴染めないしんどさもあいまって
実家のある、生まれ育った神奈川に帰りたい気持ちは強くなる一方だけど
でも、この距離が、ほどよく、家を思う気持ち、家族を思う気持ちを
ほんわかと、ふんわりと、抱き続けるのに丁度よかったりもするんだなあ。

結婚して、新しく戸籍を作った、という事実は
物理的にも精神的にも、家から出る、ということになって
ますます私は、実家や原家族への思いをかみしめたり
ありがたく素直に感謝できたり、するようになったように思う。

そう考えると、大阪という土地に来るくらいの勢いと距離が
今の弟には、必要なのかもしれないなあ。と、
つい自分と重ねて思ってみたりする。

今日は弟の部屋探しにつきあって、あちこち部屋をみたけれど
これから住むかもしれない空間を探すのって
わくわくして楽しい。 他人事なのに(笑)


仕事がないから、正直、厳しい部屋探しなのだけれど
それでもいい場所を、見つけたいものだ。

そこは確かに、自分の王国。

よいお部屋と仕事が見つかりますように。