2009年10月18日日曜日

芯の通った人

8月から個人の先生に着付けをならいに心斎橋まで通っている。

心斎橋といえば、シャネルやカルティエの店舗がならび
大丸(少し前まではそごうも)のような百貨店がでんと構える
まあいわば大人の街だ。

その一角にあるちいさなカフェが着付け教室というのだから
びっくりである。
どうやらそのカフェの経営もしている先生らしい。

楽しんで着られればそれでいいやと思っていたのと
大きな着付け教室だとゆっくり学べないかなと思っていたのとで
個人レッスンをお願いすることにした。

しょせんカフェの中でやるくらいだから
そんなに本格的なものでもないだろうけど
そこはあまり気にせずにいこう
と、思っていた。


それは大きな間違いであったことに、気がつくのに
時間はそんなにいらなかった。


***

こう書くと、まるでこの教室がダメダメだったかのように
うっかり誤解を招くかもしれぬ。

ことは、正反対であった。

心斎橋という高級な土地にカフェを出店しそこを経営している人である。
当然、センスと現実吟味、そしてマネジメント能力には長けているはずだ。
よく考えれば、どれだけ才能とエネルギーに溢れている人かは
推測できるはずであった。

「イマジン」という槇村さとる著の漫画があるが
その中の台詞に
「一つのことが完璧に出来る人は、他のことでも出来てしまう」
というような台詞があるが

この先生はまさにそういう類の人なのだと思う。

おかげさまで、順調に着付けは進んでおり
しかもいつも楽しく
そして自分のペースにあわせた指導をしてもらえている。

教えていただくことの一つ一つに、一本の芯が通っているような感じで
こちらが、混乱することがほとんどない。

それこそ、着物を着るということだけでも
なにか気持ちがしゃんとして芯が通った感じになるものであるが
着付けを教わるという行為そのものにも
その感じがあるというのは、嬉しいかぎりである。

***

こないだ、せっかくなので着付けとは関係なしにカフェにお茶しにいった。
どうやらスイーツコンテストで優勝とかしているお店らしく
あらためてなるほどなあと思わされた。

入店したときに、ちょうど着付けブースが利用中だったので
今日も着付けしているんだなあと思っていたら
途中でどうやら終わったらしく、帰るときにはそこは座席にかわっていた。

それで、先生にご挨拶しそびれたなーと思いながら
レジにお会計にいったら
レジにたっていた店員が先生だった(笑)

本当にたおやかな人なのに、しかしエネルギッシュである。

***

ちなみに、この教室を知ったきっかけは
京都のあるカフェにたまたま行ったときに
そこで個人展をしていた コトコさんというデザイナーさんがいて

そのコトコさんの作品をおっかけているうちに
コトコさんが、この着付け教室に通っており
サイトのデザインや看板のデザインをされていたのを
知ったのであった。

よくよく考えたら、
このコトコさんというのも
素晴らしい才能とエネルギッシュな活動力をお持ちの方で

なるほど、なあ、と思う次第である。

2009年10月16日金曜日

「心理やさん」である自分

心理学というものに出会ったのは高校生のときで、
そのときから心理でご飯を食べていこうと思っていたから
足掛け15年近く、心理職へのモチベーションを維持していることになる。

心理学という学問をまだ知らなかった中学生時代は
集団生活の人間関係において、なぜグループ、派閥ができるのか?(特に女子)という疑問と
休み時間になると保健室に集っている人たちはなんなんだろう?という興味があり
そのときの疑問や興味が私を心理学へと導いたという確信はある。

色々と勉強して色々なケースに出会っている今だからこそ言えることだが
私はたぶん、幼少期から集団生活やグループへの所属には馴染まず(馴染めず?)
理屈第一好奇心第一でマイペースに動いていた、今で言うKYに近い子どもだったと思う。
もうちょっというと、今、当時の私について相談ケースとして受けていたならば
微妙に発達障害の傾向がないとも言い切れないくらいの所見は書いていることだろう。

それほどの生育暦であっても自分にとってマイナスな経験にならずにすんだのは
おそらく、一定以上の知的能力によって、物事を客観視し傾向と対策を練れていたことや
そういう立場にたつことで自尊心を保てていたからなのだろうとも思う。

こうやって書くとつくづく嫌な子どもだな(笑)


自分がなかなか馴染めないような集団生活において
他者を観察し、その様子について考える作業は
気がつくと、自分のことを見つめなおし、
より客観的に自分をとらえる機会にもつながっていた。

15年もの長い間、心理学、という一つの事象、学問への興味を
ずっと持ち続けているのは
人間観察が面白いからというだけではなくて
私は私のことをもっとよく知りたいのだからだと思う。

そして、心理職ではあるけれども、心理学者にはなれないとも思っている。
もっというと、心理職というのも、たまたま今は職に就けているからだけであって
私は結局のところ、「心理やさん」というくらいのところに
自分のアイデンティティを持ちはじめているなあということに
最近気がついてきている。

そして、そのくらいのアイデンティティが一番自分にとって心地よいことにも。

それはすごく幸せなことだなあということを、私は、よく知っている。

2009年10月13日火曜日

友達

結婚を機会に難しくなってきたことの一つが
「友達」との関係性だなあと時々思う。

私はそんなに器用な方ではないから
ダンナという身近な家族が一人いたら
それで大抵は満たされてしまうので

それまであったような友達とのお食事であったり
お出かけであったりということは
結婚してからは随分減ったように思う。

でも、それでも時に、ダンナではなく友達だからこそ
何かもらえるエネルギーなり刺激なりっていうのを
欲するときというのはある。

ところが、そのくらい厳選された欲求になってくると
これを満たそうと思っても
どの友達にどのタイミングでどう約束をとったらいいのか
よくわからなかったりする。

そうして、ふと自分が会いたいと思っている友達というのは
昔からずっと仲良くしてきた古い友人であったり
同じ夢を目指して時間を共にしてきた仲間であったり
という友達なんだなあということに気がつく。

趣味が共通していたり、一緒に遊んで楽しいという友達も
自分の生活を豊かにしてくれる大切な存在だけど

どうしても会いたい、何かを交わしたい、と思うのは
すでに何かを交わしてきた相手に会うことで
そのときの自分に再会したいというような気持ちにも近い。

そうすると、どうしても私の場合は
生まれ育った土地に住んでいないという今の状況が
ものすごい大きな障害に思えてしまい
つい「大阪に友達が欲しい」などという暴言を
はいてしまったりする。

別に大阪に友達がいないわけではないのに。

もうその思いは年々強くなる一方だから
これをどうにかする方法を
考えていかなくてはいけないなあ。

ダンナが、高校の同級生と年に一回以上は会っていて、
それはそういう会をひらいてくれる幹事がいるからなんだけど
本当は、そういうのの発起人になってもよいんだけどね。

昔、そういう集まりは私にもあったから
それは再開しても悪くないとは思うんだけど
果たしてどうなんだろう。という思いもあり。

2009年10月3日土曜日

体と仕事の距離

雨が降ると、かんぺきに体調不良になり
仕事どころではなくなる。

はじめは気持ちの問題かと思っていたけどそうでもなくて
なんでこんなに体がしんどいんだろうー?とずっと思っていたら
そういえば雨がふっていた、とか台風が近づいていた、とか
あとになって気がつくことも多い。

朝、カーテンを開ける前に、体のどんより具合で
雨がわかったりすることもある。

こんなに体調が崩れやすくなったのが一体いつからなのか
はっきりとはよくわからない。
でも、すでに予備校時代に、授業を全て受けきれずさぼったり
そもそも受験勉強そのものを続ける力はなかったように思う。

5月に実家に帰ったときに、屋根裏で見つけた昔の通信簿。

見て驚いた。

小学校、中学校、と、ほとんど皆勤に近い出席日数だ。

私はすっかり、昔から体は丈夫じゃなかったと思い込んでいたけど
実はそうでもないのかもしれない、と、考えを改めなおしたところ。

でもじゃあ、今、体調が悪くなるのは気持ちがなまけているからかといえば
やっぱりそうでもなくて
こういうのは、体のサインだから、ちゃんと意味を考えないとと思っている。

仕事をしていると、時に体のサインを無視してでも
やらないといけないことは出てくる。
そのとき、どのくらいの割合で、体を優先させるのか仕事を優先させるのか
この天秤のはかり具合が難しい。

仕事をしていくうえで、自分の体をどのくらいのコンディションで維持するか、
仕事と体の距離をどうとっていくのか、
いつも悩む。

仕事を辞めて体最優先にしてしまいたい気もするのに
案外、仕事がないと体もうまくはたらなかいという気もするし。

学生の頃とは違って、仕事は、
自分でプランをたてて、相手と交渉して、技術をつかって、
こなしていく作業だ。

使っている脳みその分野も、精神力も、体力も、学生の頃とは違う。
私は、環境の変化にうまく適応できることが少ないので
必要以上に、その変化に疲労しているというのが
実際のところだろうとは思う。

もう社会人になって10年近くたつのに、
いまだに、この社会人リズムを自分のものに出来ていないのは
なんとも情けない話ではあるが

それを気持ちよく自分のものにしていくことに
面白みや自分の成長を感じたりもするから
それはそれで、必要な課題と思って
楽しんでみることにしよう。

2009年10月1日木曜日

新しいお部屋

6歳年の離れた弟が、大阪に来て仕事を探すっていうもんだから
この不景気のご時世になんて無謀な・・と思いつつも
やはり姉としては可愛い弟だからついつい世話してしまう。

もう25歳なんだから、全部自分で出来なきゃいけないんだけど
なんだかつい、この弟にあっては、
兄が亡くなってからの家族構成の激変の中、
ずっと実家で変わらず過ごしてくれていたことへの感謝の気持ちもあって
逆に、家を出るということについて何も知らなくても
それを非難したり否定する気持ちにはならない。

私は、激変に耐え切れず、18歳でさっさと家を出てしまったからなあ。

今でこそ、大阪の文化に馴染めないしんどさもあいまって
実家のある、生まれ育った神奈川に帰りたい気持ちは強くなる一方だけど
でも、この距離が、ほどよく、家を思う気持ち、家族を思う気持ちを
ほんわかと、ふんわりと、抱き続けるのに丁度よかったりもするんだなあ。

結婚して、新しく戸籍を作った、という事実は
物理的にも精神的にも、家から出る、ということになって
ますます私は、実家や原家族への思いをかみしめたり
ありがたく素直に感謝できたり、するようになったように思う。

そう考えると、大阪という土地に来るくらいの勢いと距離が
今の弟には、必要なのかもしれないなあ。と、
つい自分と重ねて思ってみたりする。

今日は弟の部屋探しにつきあって、あちこち部屋をみたけれど
これから住むかもしれない空間を探すのって
わくわくして楽しい。 他人事なのに(笑)


仕事がないから、正直、厳しい部屋探しなのだけれど
それでもいい場所を、見つけたいものだ。

そこは確かに、自分の王国。

よいお部屋と仕事が見つかりますように。