2010年3月6日土曜日

療養生活雑感。

抑うつ症状が出始めたのは去年の10月頃。
職業柄、ある程度勉強はしていたから、おこっている症状の中身を
なんとはなしに自覚することは出来ていた。

それがどう経過していくだろうかなあ、というのを様子見しながら
1ヶ月過ごした。

有給休暇が残り少なくなりいよいよ病欠をとらなくてはならなくなったのもあって
病院を受診したのが11月末。
症状の自覚から約1ヶ月以上が経っており、
この頃が一番進行がはやかった気がする。

ちょうど重いケースの担当になり、
毎日のように突発的な事態が生じたのも、受診のきっかけにはなった。

ケースの状況が日に日に厳しくなってくる、というのはつまり、
心理士としての自分のコンディションが悪いからそういう状況を招くのだ、と
私は考えている。

いわゆるアクティングアウトと呼ばれる、クライアントの行動化は
少なくとも私の目の前や私に見えるところでおこっていることについては
私の状態との相互作用の中で生じるものだ。

このまま仕事を続けていたらさらに子どもが行動化をおこすきっかけを
私が作り続けてしまうのだ、ということに自分で気がつけたのには
ちょっとだけでも精神療法の勉強をはじめていたことが役立ったと思う。

ただ、もっと早く気がついたらよかった、ということも多く
あらためて自分の仕事の難しさと危うさを痛感した昨年だった。

11月末からの療養生活は、療養生活に慣れるまでに数ヶ月かかったが
その間、本当に全てのことが一旦リセット状態になって
それはとても不思議な体験で面白かった。

こんなにも多くのことが出来なくなる、
脳みそが容量オーバーして一旦機能停止しているような
パソコンがフリーズして再起動もできないようなそんな感じは
新鮮そのものだった。

当然、頭痛や倦怠感や食欲不振などの身体症状もきつくでるので
つらくないといえば嘘になるけれども
認知機能がおそろしく低下している中で
動物的に、あるいは、私の個性として、心地よいものが発見できるというのは
とてもとても大発見で、何だか、世界の中の宝探しみたいな感じで面白かった。

それは、海の波のリズムだったり
自然の日の光だったり
雨のしとしとふる日に目に入ってくる木々の美しさであったり
肌触りのよいお布団であったり
ろうそくの灯の燃える様であったり
丁寧に作られた手作り料理であったり
きれいな歌声や写真や舞台芸術であったり・・

本能が欲するものが何かということがわかり
細胞に水がしみこんでいくような心地よさを味わい
様々なことが出来なくなることによって逆に
深い愉しみというものを体感することが出来た。

そして、初めは本当に何もできなかったのが
少しずつ出来るようになっていく喜び。

食べたいと思うものがわかってくるようになり
簡単な料理が出来るようになり
家の外に出る事が出来るようになり
少しだけなら電車にのれるようになり
少しだけなら時間にあわせて動けるようになり(約束ができるようになり)
少しだけなら街に出られるようになり
人に、会って、お話しすることが出来るようになり・・・

まるで、赤ん坊が少しずつ言葉を覚えたり
歩き出したり、お友達の中に入っていったりするかのごとく
こまかな成長過程をこの歳になって実感するようなもので。

これもまた、ものすごい達成感と感動があって。

こんなにもうつ病を楽しめる自分でよかった、と思った。

つらさのほとんどは身体症状として出てくるもので
気持ちが落ち込むということはあんまりなかったのは
救いだったと思う。

ただ、残してきた仕事だけはとても気がかりで
そこから気持ちを切り離すことがなかなか出来ず
一旦復帰したもののやはり早すぎる復帰だったことと
時期的なもので異動の話がもちあがったこともあり

結局再度症状が重くなって
今度は病欠ではなく、完全休業という選択をすることになった。

結果的に、半年以上の療養になることとなり
時間はたくさんできたけれども
何が出来るわけでもないししたいわけでもないし
この膨大な時間をどうやって使ったらいいかわからなくなり
一旦は大分落ち込んだけれども

もうすっかり仕事のことは一旦おいておくようにして
今度はもう少しゆるゆると、この生活を楽しみながら
療養を続けていくようにしようかなと思うようになった。

あいかわらず出来ることは少ないけれど
それで生活に支障があるかといえばそんなことはなくて
人間の身体はもっとシンプルにあっていいものなのかもなと
思う、そんな、日々。