2010年5月23日日曜日

私が心理士になったわけ。(自分の振り返りのために)

大学院時代にバイトしていた療育センターの心理さんからすすめられていた本
「ころんで学ぶ心理療法」を、昨日ようやく購入した。
アマゾンで購入したので、今はじめて開いてみたのだけど
思ったより文字が小さくて多かったのでちょっと困っている。笑。
(だって活字嫌いなんだもん。)

とりあえず目次だけ見てみたら、最終章の中の一節に
「心理療法家を選んだ動機を自覚しておくこと」とあったのが
なんとなく心にひっかかったので
そこだけ先に読んでみた。

それはよくある「自分が悩んだときの経験を活かしたい」という動機への警鐘を
比較的丁寧に書いてある一節だった。

で、あらためて、自分を振り返ってみた。

「私はなんで心理士という仕事を今してるのかな?」

実は、私の動機はすごく単純で
人間って不思議で面白くて、飽きないから・・・というのが
一番大きな理由だったりする。

というのも、私は、本当に熱しやすく冷めやすい性格で
3年以上興味が続いたものって、ほとんどない。

あんなにのめりこんだイラスト描きも、お芝居も、栄養学も、
サボテン栽培も、天文趣味も、文通も・・・
果てはSMAPにいたるまで(笑)
半年~3年くらいの間には、飽きてしまう。本当に。

その自覚は高校1年くらいの頃にはすでにあって
それで、私はこれでは、ろくに仕事を続けられないんじゃないかと思っていて
結構真剣に、「なんだったら続けられるだろう・・」と考えたとき

人間への興味関心は、もう何年もずっと持ち続けていて
これは多分一生かかっても、わからないことだらけで
でも目の前にいつでも人間はいて不思議をいっぱい感じるだろうから
これならいけるかも・・・と思ったのだ。

生きるとか死ぬとかいう根源的なものや
集団のもっている相互作用の不思議さとか
ありとあらゆることが面白くて不思議でわからなくて
それは自分自身も含めてそうで
それを知りたいなあ、という欲求は全然色あせることがなく
今もずっと続いている。

もう一つは、根っから、「困っている人がいたら助けなきゃ」的な精神が
割と旺盛だったという自覚がある。
これは親から受け継いだ精神性だと思う。
弟もこういうところが多分にある。

本当は、医者とか看護士を考えた時期もあったのだけれど
とてもじゃないが、血がだめだった。笑
成績もそんなによかったわけじゃないから、
医者はやめて心理にすすんだ、っていう、割と単純明快な動機。


***

ところが進路を決定して進学先の検討に入った高校2年の冬に
人生最大の不幸ともいうべき、家族を急に亡くすという経験をしてしまった。

それまで全くなんの迷いも憂いもなく安穏と過ごしていた日々が一転
家族も世の中もみんな不確かで不安定なものに思えてきてしまい
遅めの大反抗期+受験とかぶって心身症(今にして思えば)がでまくり
そこから先は、もう人生の暗黒時代。笑

若さと持ち前の勢いで、すってんころりん急降下、である。
今思えば必死だったよねえ・・・笑

なので、心理専攻にはすすんだものの
とてもじゃないが人間を対象にやる気が起きなかった。

それは被験者体験をしてますますそう思ったのだけれど
心理検査にしろ心理の実験にしろ
なんとまあ酷く人にプレッシャーを与え心を揺さぶる行為なんだと。

たまたま私が被験協力した実験の担当者が酷かったというのもあるが
こんなことに鈍感な人たちがもしこの先心理士になっていくのだとしたら
なんと恐ろしい世界なのかと、本気で思っていたのである。


他にも色々な理由があって、私は結局、鳩を使って卒論をしあげることにし
そのために行動分析という学問を勉強しはじめることになった。

***

そして、卒業後の進路を考えるときに
もう心理学という体系を使わずに対人支援ができることってないかと
色々な可能性を考えて
あえて心理ではない道に就職をした。

のだが、まだこの時期にも暗黒時代を抜け切れてはおらず
自分自身の問題をずっと抱えていたので
案の定、仕事と生活のバランスを崩し身体を壊して
半年で仕事をやめざるをえなくなった。

アルバイトをしながら、徐々に復調していくなかでようやく自分の問題も
解決をしていくことができ、大反抗期が収束した頃・・・
もしこの先、心理で仕事をしようと思うなら今が最後のチャンスだ、と思い
はじめて、お金を払ってカウンセリングを受ける、ということをした。

主訴は、そのまんま、自分が心理の道にすすむべきなのかどうなのか、
を考えたいっていうような感じだったと思う。

***

結果的に、やっぱり人間が好きで対人援助をしたい思いがあって
でもやるなら行動分析でやりたくて
というわけで、応用行動分析でもなんとか仕事の口が見つかるだろうからと
どうにかピンポイントで進路を絞り込むことが出来そうだったので
そこで大学院に進学した。

どちらかというと、「やりたくない」分野がいっぱいあったので(笑)
大学院でも選択科目は結構厳選していたような気がする。
やりたくないっていうのは、自分がその分野でちゃんとやっていける気がしてなくて
無理してクライアントをとって酷いことをしたくなかったからであって
カウンセリングが嫌とかそういうことではない(向いてない、とは思うけど)。念のため。

みんながカウンセリングの授業をとっていても私はとらなかったりとか。
スクールカウンセラーのインターンに登録してても、私はしなかったりとか。

そのかわり、勝手にハローワークにいって療育センターのバイトを見つけて
仕事してたりとか。笑

でも、学校現場を全く知らずに卒業するのはいかんと思い直して
小学校の心の相談員という仕事をさせてもらうことになった。

この小学校の紹介については、私が他の院生より一年近く遅れて
学校の仕事を紹介してほしいと、先生に相談にいったという事情があり
その時にたまたま募集があった学校に派遣されることになったのだが
(他の院生は中学校のSCインターンに派遣されていた)

この小学校がまったく偶然にも児相おかかえの小学校で
私が目指していた「ソーシャルワークでの支援」というのを
体当たりで学ぶことができる学校だった。

でも本当に、シビアできつかった。
週一で行っていたのだけど、先週いた子が今週いない(保護された)とか
苗字が変わる子もとても多かったし、
小学2年生の子が普通に「ママの彼氏が」とか「ママの”おともだち”が」
っていう会話をしているようなところだった。

ベテランの先生陣が福祉的観点を持ちながら動いていたし
その中で心理の学生の意見を取り入れたいという動きも強かったし
本当にいろんな意味でここで働けたことは幸運だったと思う。

心理療法、というひとつのものに頼らずに
でも、私が専門で勉強したのは、心理なので
心理士という立場にたちながら仕事をしよう。
でも、私がやりたいのは、あくまで対人支援。

というスタンスは、ここでおおむね確立したような気がする。

***

なので二度目の就職先探しは、「福祉の現場」「多職種が連携しあえるところ」
「ソーシャルワークが活きるところ」ということで絞り込んだのだけれど
結果的にそれが最もかなう今の職場に就けたことも
本当に幸運だったと思う。

***

心理というものへの単純な興味関心があり
加えて、自分がモチベーションをもって続けられる条件を満たすような職場があって
そしてそこに就職できたので
幸運にも心理士として仕事をしていられる

というのが、多分、私が心理士になったわけ、なんだと思う。

***

それで、多分、その条件というのは
結構柔軟に変化していくものだというふうに思うので
私がいつまで心理士でいるかは、未定だったりする。

そんな感じかなあ。

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