ゲームというものを楽しめる脳みそを持っていない私が
つい今朝方まで、mixiで、サンシャイン牧場というのを登録していたのは
もともとはマイミクの人から招待されたから応えねば・・というのと
私の牧場をせっせとマイミクの人が世話してくれていたので
あからさま放置するのもどうかと思っていたからなのと
まあ大体そんな理由。
せいぜい、このゲーム(ゲームというより単なるアプリなんだろうが。)の
見所かなあと思っていたのは、種や芽など作物の形がとてもリアルで
へえーこういう種なんだあとか、こんなふうに育つのねーとか
そういうのを発見するというところか。
使い出すうちに、このアプリに対する各人の考えが顕著に出てくるのがわかって
それはそれで面白かったのだが
最終的に、ものすごく物欲主義的な発想のアプリなんだなあということが
すごくよくわかって、それで、色々と他にも辟易していたのもあって
先ほど、さっくりと削除してしまった。
***
このアプリでは、基本的に、何かで失点するということはまずなく
基本的には全てプラスに転じる。
自分の畑で作物をつくっても、他の畑のお世話をしても、
あるいは他の畑の作物をお持ち帰りしても、レベルアップする。
畑に虫をいれたり、畜産にいたずらをしても、
それを別の人が治療すると、地力や動物の生産力があがって
結果的にレベルアップする。
虫投入も、いたずらも、それをすることでマイナスにはならないから
「どんどん害虫をいれていってね」
「もっといたずらしてね」
みたいなことになる。
このあたりで、すでに私の脳みそでは疑問の嵐。
それをゲームだからと割り切れるほど、私の頭は柔らかくないのだった。
***
もともと、どんなに小さなことでも
いじる、という文化が私は嫌いだ。
本当に仲のいい人なら、そういうのもままあるだろうとは思うけど
まだそんなに関係が深くないときに
いじるという行為をもって、親しみを伝えようとするのは
何か間違っているような気がしてならない。
いじる、と、いじめ、の違いを誰が確かに判断できるというのだろう。
私の脳みそは、必要以上にばか正直な脳みそなので
全ての言葉はその言葉通りに受け止める習性があり
大阪文化なんて、もっとも私には適さない文化だというのを
こっちにきてからひしひしと思う。
ああ、また大阪話になってきちゃったな。
まあいいや。
他の人がきいたらあきらかに冗談だよ、ウソだよ、とわかることでも
私は「えっ、ほんとに?」と本気で返すので
冗談を言った人に「いやいや、ここはボケるところでしょ」なんて言われて
それをウソと感づかない私が馬鹿にされる形になる。
天然ボケ、というキャラが存在するのを知ってからは
「私天然なんで、すいません」とか言えばいいのかと思ってそうしてきたけど
なんかそれもおかしな話。
***
日本文化の中にあるメッセージというのは
暗喩やら隠喩やら、少しひねることで奥ゆかしさが出ることを
古来より大切にしてきたのだと思う。
ところが、現代の日本文化にあっては
そういう奥ゆかしさはどこへやら
実際に起こっている現象と言葉とがすっかり解離して
ダブルメッセージが氾濫し
しかもその中で的確にメッセージを取得できない場合
KYなどといわれる始末である。
この点、外国のスタッフと一時期仕事したときのことを思い返すと
あれだけストレートに励まされたり感謝されたり
まずいところを指摘されたり、というストレートなやりとりは
ある意味すごくほっとして、力強く感じられたものである。
本来は、和歌にもあるようなあの奥ゆかしさが私はとても好きなので
なんでも欧米文化がいいと思うわけではないが
やはり、実際の現象と、解釈のねじれは、どうにかせんといかんと
つくづく思うのである。
***
さて、サンシャイン牧場に話を戻すと
これは結局、自分のレベルをあげるために
自分の作物や畜産を量産しつつ
他の人の畑も世話しつつ
それだけならいざ知らず
人の畑に害虫をはなち畜産にいたずらをする。
結局、全ての行為が自分のレベルアップにつながるというその発想がいやらしく思えて
私は全然、自分のレベルは気にせず、他の人の畑の地力があがるようにとか
畜産の病気を治さねばとか、そんなことばっかりやっていたから
結局最後の最後までほとんど初心者と変わらない順位であった。
私はそれで全然いいのだったが
せっせとお世話しているほかの利用者さんたちが
必ずしも私と同じスタンスでやっているわけではないのだろうなあとか
思い始めたらもうダメで、
なんかそういうのの、思惑の違いというか、そういうのにも疲れてしまった。
つくづく、私の脳みそって面倒だ(笑)
アンテナを張りすぎるから疲れるのだ、とよく上司に言われた。
ああ、そういうことなんだなあ、ってまた思わされた。
人の心理に感づくスキル、というのは、職業についてからさらに強まってしまったが
多分もともとそのきらいはあったと思うので、いたしかたない。
そういう意味では天職なのかどうなのか。
しかし、こういうスキルも、もとはといえば
周囲のダブルメッセージが読み取れないばっかりに
自分であらゆるパターンを後天的に学習し分類し
できるだけ環境に適応しようとしている過程の中で
身についただけのことである。
おおむね、高機能自閉の人間で社会適応できている人というのは
こういう能力をかなりに備えているのだろうと、推測する日々である。
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